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装飾の有無

posted on 7:58 AM, February 15, 2014
そもそもパリに住みたいと思ったのは、私が装飾を使うのが苦手だからという理由もある。シンプルで、白い空間をキレイにに見せるようなデザインが好き。でも、それだと何か寂しく物足りない場合もある。
そもそもパリに住みたいと思ったのは、私が装飾を使うのが苦手だからという理由もある。シンプルで、白い空間をキレイにに見せるようなデザインが好き。でも、それだと何か寂しく物足りない場合もある。そういう時は「適度」な装飾が必要になる。その適度さが難しい。パリという街は、どこを見ても装飾がある。壁を埋め尽くすような圧倒感のあるもの、ちょいと優雅に添えられたもの、ここに住むことで自然と装飾の使い方を学べると思った。
 
結果は良好だ。白い壁は白い画面や白い紙と似ている。どのくらいの装飾をほどこせば美しく見えるか、過度になってしまうのか、何となくだけれども以前よりも想像ができる。そして最近思ったのが、装飾には2種類あるということ。1つは、何かを隠すための装飾。そしてもう1つが何か感情を与えるためのもの。
 
例えば、元々の土台に傷があってもその上にびっしりと模様を入れればわからなくなる。あまりキレイでない道も、並び立つ建物がゴージャスならば皆上を見上げて下の道なんて気にしない。マイナスを隠すためにプラスする。結果プラスがどんどん増えてものすごいゴテゴテの過度な装飾になる。なんて事もあったのではないだろうか。装飾の歴史についてしっかり調べたわけではないのであくまで私の想像だけれど。
 
もう1つの何か感情を与えるためのものは、例えば装飾があることでその場の雰囲気が変わるという事があると思う。真っ白な壁だけの部屋と、美しい模様の壁紙をひいた部屋ではどちらが快適だろう?あまりに何もない空間というのは時に人をナーバスにする。そこに「装飾」を入れることで「安心」という感情が生まれる。装飾は人の手が入ったことの証であり、人はその人の手を装飾から感じて安心するのではないだろうか。また、凝った美しい装飾はそれだけで「高級感」や「高揚感」を与えてくれる。どこか特別な場所に自分がいるかのような、誇らしい感情。高級レストランやホテル、デパートの装飾は正にそういう気分にさせてくれる。
 
私は後者の装飾を上手く使えるようになりたい。見せたくないものがあるならば、隠すのではなくそれをまずは直す。土台をキレイにして、その上で必要な装飾だけを入れる。デザインの制作過程もそうありたい。